未草とお盆の事

 祖母が、朝早くから仏壇の飾り付けをしている。
 仏間はあるが、仏壇は祖父母が現在住んでいる静岡の家にあるので普段は何もない。僕も特に用はないので、掃除に入る程度だ。
 祖母が、位牌だけを持ってきたのだ。気軽に移動して良いものなのかは分からないが、菩提寺はこちらにある。お盆なのに位牌だけ置き去りというのも妙なものだから、まあ、いいような気もする。
 仏間に小さな正方形のテーブルを出して、その上にゴザを敷き、四方の足に笹竹をくくりつけていた。精霊棚を作るのだと言う。
 お盆の支度は祖父母に任せて、昼過ぎに庭の池に未草を植えた鉢を沈めた。
 金魚がくるりと身を翻して、流木の陰に隠れている。
 水面に、水上葉だけが五枚、ゆるりと浮き上がってきた。
 午後二時頃。未の時刻に咲くので、未草という名がつけられたといわれている、日本に自生する唯一の睡蓮だ。
 白くて小さな花をつけるので、さほど大きくない庭の池にはちょうど良いだろうと思ったのだ。
 水生植物を取り扱っている園芸店で購入したもので、最初は、何にしようかと店内を眺めていたのだが、店員の一人がいろいろと相談に乗ってくれて、それならと勧めてくれたのだった。
 手入れも難しくないし、その環境ならほとんど放っておいても問題ないだろうということだった。冬も乗り越えるし、種ができて勝手に増えるとも言っていた。店員が、ひと株もあれば十分だと言うので、ふた株くらい買おうかと思っていたのに、結局ひと株と、鉢と赤玉土を買ってきただけだ。
 ともかくこれで、縁日の金魚すくいから、我が家にやって来た金魚も過ごしやすいだろう。
 リンが、池の縁から身を乗り出して、水面から顔を出している未草の葉の匂いを嗅ごうとしている。
 蕾のある株だったから、うまくすると二三日うちには花が見られるかも知れない。
 池に花を植え、水面をちらちらと赤い姿がよぎるので、庭が以前より生き生きとしているように思う。
 夏草が隆盛なせいだけではないだろう。
 祖母と祖父は、作業を一段落して座敷でのんびりと麦茶を片手に、庭を眺めている。
 妹は、つばの広い麦わら帽子をかぶって、リンと池の端にしゃがんでいる。その帽子の影がリンの鼻先にかかっていて、そのせいかリンが鼻先を何度も舐めていた。

 夕方近くなってから、歩いて二十分ほど離れた菩提寺へ、連れ立って墓参りに出かける。リンはサカエダさんと留守番である。両親は、仕事の都合がつかないので、明日来ることになっている。
 途中で切り花と蝋燭と線香を買う。本堂へ寄って、祖父母が住職に、お墓参りに来ましたのでよろしくお願いします、と挨拶をしている。普段は静かな寺も、この時ばかりは少し慌ただしい。
 墓所の掃除をし、水で清める。花と火と線香を供え終わった頃合いに住職が経を上げに来た。代々の墓の近くに、大きな桜の木が一本立っていて、その木陰だけは妙に涼しく感じられる。墓所は、土が露出している部分が広いせいか、蝉の数が多いように思う。
 墓参りから戻ると、少し日が傾いている。縁側の軒先に火を入れた盆提灯を提げる。
 祖母が玄関先に焙烙(ほうろく)を置き、その上にオガラを折って重ねていく。祖父がマッチを擦ると、火薬と燐の燃える匂いが、 僅かに鼻腔をつんと刺激する。
 すぐにオガラから煙が立ち上る。妹が真っ先に手を合わせた。普段、お盆らしい行事になど参加していなかったのに、まるで慣れたような自然な動作だったので驚いた。 
 祖父母と僕も、妹に続いて手を合わせる。
 そうして、そのまま皆しばらく黙ったまま、煙の流れを眺めていた。
 庭木に止まって鳴いていたアブラゼミが、何かに驚いたようにジッと鳴らして飛び去っていった。