曾祖父の美術館の事

 リンと朝の散歩に行ってから、イズミヤさんの家へ出かける。
 祖父母と僕に加え、妹も一緒に行く事になり、リンはサカエダさんに任せて家を出る。
 電車で一時間ほど移動する。普段行かない土地だったが、来てしまえばどうということもない距離だ。
 駅からは少し距離があるからと、駅前までイズミヤさんと彼の息子さんが車で迎えに来てくれていた。息子さんと言っても、僕の父ほどの年代である。
 イズミヤさんは車の中で、描く方には芽が出なかったけれど、見る方にはそれなりに伸びたのだと自分で言って笑っていたが、到着してみると大層立派な外観で、イズミヤさんによると、美術館は瀟洒な明治期の小さな和洋館を移築したものだそうだ。美術館の裏手にある自宅も立派な建物で、商売の方でもかなり立派に成功した人物のようだった。
 イズミヤ夫人が玄関まで迎えに出てくれて、暑い中ようこそいらっしゃいました。と丁寧に挨拶してくれた。
 イズミヤさんの自宅の居間で祖母とイズミヤさんは、僕が生まれるよりずっと昔の話で盛り上がっている。祖父は黙ってにこにこと聞いている。
 そんな話題が一段落した頃、祖母が曾祖父のスケッチを、イズミヤさんに渡す。
 イズミヤさんは感激してくれて、よく見つけて下さいました。と言う。
 祖母が、本来私設美術館を開きたいと言って下さった時にお渡しできれば良かったんですけれどね、いくら蔵の中を探しても出て来なかったんですよ。だから、もう存在しないものと思っていたんですが、それを先日孫が見つけてくれて。
 妹が曾祖父の絵を是非見たいと言い出したので、僕と二人だけで先に美術館を見せてもらうことにした。イズミヤ夫人が、ご案内しましょう。と言ってついてきてくれた。
 一旦、イズミヤさんの自宅を出ると、庭の木々から蝉の音が雨のように降ってくる。蝉の音に押されるように美術館の正面に回る。
 玄関ポーチを入ると、それほど広くはないのにゆったりした感じのするエントランスがあり、ちょうど建物の中央辺りに階段があった。手すりは飴色で艶やかに磨きこまれている。
 エントランスの片隅に、建物に遜色のないアンティークのテーブルと椅子があり、そこが受付のようだった。
 エントランスにある靴棚からスリッパに履き替える。
 イズミヤ夫人が受付の女性に小さな声で、こちらは特別なお客様なのでこのままお通しして構いません。と言っているのが聞こえてしまい、少々複雑な気持ちになる。
 絵は、主に二階に展示されているというので、二階へ上がる。
 妹も、建物のいたるところに施された装飾を、楽しげに眺めながら階段を上がってきた。
 ひいおじいちゃんの絵って、実物あんまり見たことないんだよね。と、妹が言うので、僕もほとんどないと答える。
 妹は、ふーんと言いながら僕を追い越し、展示室の中に入って行く。展示室の中には、誰もおらず、貸し切り状態だった。
 展示用に公開されている部屋は全部で四つあり、絵は年代の古い順に並べられているようだ。
 画家の曾祖父を持つ身としては情けないことではあるが、絵についての知識はほぼ皆無に等しい。曾祖父個人の絵に対する知識も同様だ。
 好みか好みでないか、くらいの感覚でしか見られない。妹が意外に曾祖父の絵に詳しく、その解説を聞きながら回った。
 初期の頃は、結構写実的にきっちり描いていて、それからだんだん輪郭をはっきりさせない画風になっていったんだって。
 でも、こうして離れて見ると、遠くに幻想的な絵が浮かんでいるように見えるんだって。妹は、そう言いながら、一枚の絵から遠ざかる。
 あ、あとね、夜に薄暗い月明かりくらいの明るさで見ると違う風に見えるらしいよ。おもしろいよね。妹はそんなことを言う。
 和室に飾られた絵の中に、イズミヤさんと初めて会った時に見せてもらった絵があった。月夜に、緑の稲田の中を散歩している、赤い洋服の少女の絵だ。
 しばらく眺めていると、他にも客が来たようで、廊下をパタパタと歩く音が聞こえる。
 和室の出入り口の方に目を向けると、赤いワンピースの女の子が横切って行った。まるで絵から出て来たようだなと思った。


 一通り見て回った頃、祖父母とイズミヤさんが美術館にやって来て、今度はイズミヤさんの解説を聞きながらもう一度じっくり回った。
 昼食をご馳走になり、帰り際にイズミヤさんが、近々絵を譲ってもらえることになりそうです。また遊びにいらして下さい。と言ってくれた。