豆腐の事

朝の通勤電車で、また座る事ができた。
学生が夏休みになってからはラッシュが緩和されているので、座っていても向かいの窓から外の景色を眺める事ができる。
外は良く晴れていて、このまま海か山にでも遊びに行きたくなるような天気だった。
しばらく外を眺めていたが、鞄に入れた文庫本の存在を思い出し、読み進める。
読んでいるうちに少し眠くなったのでうたた寝をした。


頭の上で、ねえ!と大きな声がして目が覚める。
驚いて顔を上げると、降りる駅に着くところだった。
つい先日も、同じようなことがあったのだが、僕の気のせいなのか、やはりそんな声を出した人物も見当たらないし、誰も気にしていなかった。
夢にしても、乗り過ごさずに済むので、少し有り難い気がする。
どうも僕は、電車で座っていると眠くなってしまうようだった。話し相手がいればそうでもないのだろうが、あの振動が眠りを誘うらしい。
帰りの電車はそれなりに混んでいるので、大抵はドアの所に立って、外を眺めながら帰るので、寝てしまうことはない。


夕方、朝と同じ道を辿ってリンと散歩に行く。
中をぐるりと一周すると、公園の脇に豆腐屋がいた。
とうふ、と、ひらがなで書かれた小さなのぼりが立っている。頑丈で重そうな自転車の荷台に、大きな箱がついていた。
見ると、カンダさんのお母さんが豆腐を買いつつ、豆腐屋の親父さんと世間話をしている。
僕に気がついたカンダさんのお母さんが、気さくに手を振ってくれる。会釈を返すと、手招きをするのでそちらに向かった。
ここのお豆腐はとてもおいしいので、もしお豆腐が嫌いじゃなかったら、一度食べてみるといいと薦めてくれる。
それならと、一丁買って帰ることにする。豆腐屋の親父さんは、油揚げを一枚オマケにつけてくれた。
もし早起きしたら、朝は店の方で売っているからと店の場所を教えてくれた。
カンダさんの家からそう離れていない住宅街の一角にあるそうだ。
僕が道順を聞いている間、リンは、カンダさんのお母さんに頭を撫でられて、嬉しそうに目を細めている。


家に戻ってから早速、豆腐を食べてみた。
表面は木綿豆腐のようにしっかりしているが、中はとても柔らかかった。何もつけなくてもおいしい。
リンがじっと見ているので、一口あげてみると、あっという間に食べてしまった。
それから顔を上げて、もっと欲しいという顔で僕を見る。
一般的に犬は豆腐が好きなのだろうか。それとも、リンの好みが変わっているのかも知れない。結局、リンと豆腐を半分に分けて食べた。
サカエダさんが面白そうに僕とリンを眺めていた。