池の水の事

朝起きてすぐに、座敷から池を覗いてみる。
池は、昨日の夕方に見た時と同じく、澄んだ水で満たされていた。
水質検査をどうしようかと思っていたら、思わぬ所から解決策が講じられた。


ちょうど会社から戻ってくると、家の電話が鳴っている。
あわてて受話器を取り上げると、滅多に電話など寄越さない父親からだった。
携帯電話に掛けてくれればいいのだが、必ず家の固定電話に掛けてくる。
何の用かと思ったら、祖母が一人でこちらに戻ると言う。
戻るとは言っても、遊びに来るという程度で、こちらに住むというわけではないらしい。
妹は、家で話さなかったのか、僕が犬を飼い始めたのを祖母から聞いて、初めて知ったらしい。
ちゃんと世話ができているのかと問うので、大丈夫だと答える。
父親は、犬はそれほど好きではないという顔をしているが、実は無類の犬好きで、それが周囲の人間には知れていないと思っている節があった。
社交的な人物だが、何故か犬に関しては、なんとも妙な硬派を貫いている。
祖母は、明後日にでもこちらに来るそうで、もちろん僕の住んでいる家に泊まるという。特に問題はない。


電話が切れる前に、そういえば、庭にあった池の水はどこから引いていたのかと、話を振ってみる。
特に何も期待していなかったのだが、ああ、あれは井戸なんだ。と、いとも簡単な返答。
石を組んで囲いをする前、そこには井戸があり、綺麗な水が出たのだそうだ。
水道が完備されるまで、その井戸は大切な飲料水であり、生活用水だった。
水道が完成すると、まるでそれが分かったかのように水量は少なくなり、井戸を細くして上に石を組み、池を作ったのだという。
どういう仕掛けになっているのか、細かいことまでは分からないが、池の底から井戸水が上がり、池に溜まるのだという。
父はそれを、母と結婚して間もない頃、僕の曾祖父に聞いたのだそうだ。
父にとっては義理の祖父になる。少し気難しいところのあった曾祖父に、当時はいらぬ気を遣っていたらしい。
偶然座敷で二人きりになった時、沈黙に耐えかねて話題を探し、必死で庭に目を走らせた挙げ句、池…と呟いてしまった時に尋ねたのだという。
池…?と聞き返され、池の水が綺麗ですね。と苦し紛れに言ってみたら、そう教えてくれたそうだ。


なんでそんなことを聞くのかと言うので、池に水が湧いたのだと端的に説明した。
すると、不思議そうな唸り声を出してしばらく沈黙している。
犬に水を飲ませる前に、水質検査をした方がいい。保健所か、水質調査を請け負っている企業があるはずだから、調べておこうと言って、あっという間に電話は切れた。
結局、犬のことが気になって掛けてきたらしい。
リンは、話が聞こえてでもいたように、嬉しそうな顔で僕を見ていた。