蟻の事

朝の散歩から戻って、朝食を済ませ、洗濯までしたのに、それでも家を出る時刻まで、まだ余裕があった。
縁側へ出て爪を切ることにする。
リンが物珍しそうな顔をして、爪を切るのを眺めている。
左手の爪を切り、右手の爪を切り、ついで右足の爪を切ってふと地面を見ると、数匹の蟻が僕が切り落とした三日月型の爪を必死になって運び始めている。
一体どうするのかと眺めていると、次第に蟻の数が増える。
気を取り直して、左足の爪を切り終えると、そろそろ家を出る時刻になっている。
蟻が爪をどうするのか少し気になったが、ぼんやり眺めているわけにもいかない。


いつものように、サカエダさんとリンに留守番を頼んで家を出た。僕の爪は蟻の養分になるのだろうか。
僕という存在は生きているけれど、その僕から切り離された体の部分を他の生物が餌にするというのは、なんとも不思議な気分だった。


仕事を終え、家に戻る頃には蟻のことなどすっかり忘れていたのだが、リンと散歩をしてから夕飯を食べ、座敷で涼んでいる時にふと思い出した。
座敷は、凪いだ風が通りすぎ、秋の虫に似た、初夏の夜に鳴く虫の声だけが聞こえている。
縁側から庭を覗くと、暗い地面に微かに白く小さなものが落ちているのが見える。なんだやっぱり持って行くのはやめたのかと、さらに目を凝らすと、どうやら爪ではないものが落ちている。
つまみ上げてみると、小さく丸い真珠のようなものだった。そこらに散らばっているものをすべて拾い集めると、全部で二十粒ある。
一粒が二ミリほどの大きさだった。
リンが鼻を鳴らして、しばらく興味深そうに匂いを嗅いでいたが、そのうち飽きてしまったらしくサカエダさんのいる居間に行ってしまった。


綺麗だったので、祖母が作って箪笥の上に飾っていた和紙製の小物入れに仕舞っておいた。
祖母がこちらに来た時にでも、見せようと思う。