夏休みらしい一日の事

 朝早くに目が覚めた。まだ誰も起きて来る気配がない。いつものようにサカエダさんに挨拶をして、リンと散歩に行くことにした。
 人が多くても、サカエダさんの方は一向に気にしていないようで、風鈴の見える窓際でにこにこと座っている。


 リンとのんびり土手を歩いていると、土手の端に立っている杭の上に五位鷺が休んでいた。
 赤い眼をじっとこちらに向けて、まったく動かない。こちらが気づいていないと思っているのかも知れない。
 リンが少し立ち止まって、杭の方へ鼻を向けてくんくんと匂いを嗅いでいる。それでも五位鷺は動かない。大したものだ。
 気づかないふりをしてそのまま通り過ぎた。リンが僕に、ちらりと目配せをしてくる。行こうと言うと、また杭の方角の匂いを嗅いでから歩き始めた。
 充分離れてから、振り返ってみると、やはり五位鷺は動かずに杭の上にいる。まるで作り物のようだった。


 家に帰ってみると、母が朝食の支度をすっかり整えていたので、なんとなく据わりが悪いような、変な気持ちになる。
 久しぶりに母の作った料理を食べた。なんだか、学生の頃の夏休みを思い出す。
 食事の後片付けは僕と妹の二人で、食後のお茶は祖母がいれてくれた。
 気づくと父が、また座敷の縁側でリンとボールを転がして遊んでいる。リンはすっかりボール遊びが気に入ったようだ。そして、父もすっかりリンを気に入ったらしい。
 しばらくそれを眺めて座敷を出ると、廊下の突き当たりに妹が座り込んで本を読んでいる。廊下が冷たくて涼しくて快適なのだという。
 居間では母と祖母が二人で世間話をしていた。サカエダさんは、それを聞いているのかいないのか、きちんと座ってそれを眺めている。
 その横で、祖父はテレビを見ている。
 本当に、子供の頃の夏休みの風景そのままの雰囲気で、のんびりとした気分になった。


 午後になると、庭の池で未草が咲いた。
 小さいけれど、楚々としていて好ましい佇まいの花だ。
 金魚が花の下をくぐって泳いでいた。


 夕飯の後で、父と母が帰って行った。リンが名残惜しそうに玄関で見送っていた。
 夜更かしして、カネダさんに借りた本の続きを読む。座敷の電気が消えて、祖父母と妹が寝静まってからしばらくすると、二階から幽かな物音が聞こえてきた。
 耳を澄ませると、畳の上を歩くような、そんな音に聞こえる。リンは自分の寝床の上で仰向けになって眠っていたが、物音に気がついたのか目を覚まして、くるりと体勢を入れ替えて伏せた格好になった。
 何か聞こえないかい?とリンに話しかけてみると、耳をひょこりと立てる。
 読みさしのページに栞を挟んで、二階へ上がってみることにした。リンは自力では階段を上り下りできないのでここで待っているように言って、そっと廊下へ出て階段を上がる。
 二階の六畳間の襖を開けてみると、昼間誰かが開けて閉めるのを忘れたのだろう、窓が開いていた。そこから入った風の音が、偶々あんなふうに聞こえたのだろう。
 窓を閉めて一階へ戻ると、伏せの格好でずっと待っていたらしいリンが、小さく鼻を鳴らした。
 大丈夫、窓を閉め忘れていただけだったよ。と言うと、もう一度鼻を鳴らして起き上がり、僕の方へやって来る。物音で不安になったのだろうか。今までにあまりこういうことはなかった。
 二階を見せたら納得するだろうかと、今度はリンを抱えてもう一度二階を見に行った。
 六畳間の襖を開いた時、瞬きよりも短い一瞬、部屋の中がぼんやり明るかったような気がした。月明かりでそんなふうに見えたのだろう。
 リンは部屋の中を見ると、空中の匂いを嗅いでいたが、すぐに納得したようだ。
 一階へ戻ると、さっさと自分の寝床に戻り、くるりと伏せている。
 それで僕も、休むことにした。二階の物音は、それきり聞こえなかった。