暑気の偶然の事

早朝から、かなり気温が高い。
庭ではニイニイゼミが数匹鳴いている。
夏になると、一番最初に地上に出てくる蝉だ。


リンは、蝉の音が気になるのか、しきりと庭木の方を探していた。
散歩に行った公園では、もっとたくさん鳴いている。
カンダさんと会ったので、少しばかり世間話をする。
リンは、低い植え込みを見上げて、何事か僕に報告するように一声吠えた。
枝を見ると、蝉の抜け殻がついている。それが気になるのかと、手を伸ばして枝から取り、それをリンの鼻先に置いた。
リンは熱心に匂いを嗅いでいる。


カンダさんは、やっぱりこの子は僕の家に貰われて良かったと、しみじみ言う。
どちらかといえば、僕がリンに選ばれたような気がするのだ。


仕事の帰りに、ヨネヤとビアガーデンに行く。
本当は真っ直ぐ帰るつもりだったのだが、駅まで歩いているうちに、暑さと喉の渇きに逆らえなくなったのだ。
お互い、それほど長居するつもりはなく、デパートの屋上のビアガーデンで、枝豆をつまみに一杯空ける。
さて帰ろうかと立ち上がったら、誰かに名を呼ばれた。
振り返って人で賑わっている屋上を見回すと、見知った顔がある。
どうやら、今し方ここへ来たばかりのようだった。
タカハシさんは、僕にお久しぶりです、お仕事帰りですかと言う。それからヨネヤに目礼した。
ヨネヤもあわてて、どうもなどと呟いている。
タカハシさんとは、以前、一人で入った狭い飲み屋で隣り合わせたのだが、気がつくと本を話題に、静かに盛り上がっており、以来、飲み仲間であり、趣味仲間である。
よく考えると、酒の場でしか会ったことがないように思う。


ヨネヤが、久しぶりなんだろ、じゃあ俺は帰ると宣言すると、さっさと歩き出してしまったので、止める間もなかった。喉が潤ったら、チカコさんのことでも思い出したのだろう。
折角なので、一杯つき合うことにして、今立ち上がった席に座る。
良かったんですか?と少し恐縮した風に言うので、どのみち彼とは駅で別になるのだと答えた。
ジョッキをもう一杯注文して、世間話をする。
世間話はいつの間にか、面白かった本の話題になり、飼い犬のことになる。
とりとめはない。小一時間ばかり盛り上がって別れた。